こんな人に、わたしはなりたい
雨にも負けず
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい
宮沢賢治作の『雨にも負けず風にも負けず』の実際のモデルとなった人は、
ご存知、斉藤宗次郎というクリスチャンでした。
斉藤宗次郎は、岩手県の花巻に1887年に禅宗の寺の三男として生まれました。
彼は、小学校の教師になりますが、内村鑑三の影響を受けて聖書を読むようになり、
洗礼を受けてクリスチャンになりました。しかし、それからが大きな戦いのはじまりでした。
当時は、キリスト教は、「ヤソ教」「国賊」と呼ばれていました。
彼は洗礼を受けた時から迫害を受けるようになり、石を投げられ、親にも勘当され、
小学校の教師を辞めさせられてしまいました。それだけではありません。
迫害の手は、家族にまで及んできました。近所で火事が起きたとき、全然、関係がないのに、
嫌がらせで、放水され、家を壊されたことがありました。何度もガラスを割られることもありました。
そして、さらにひどい迫害が起こりました。
9歳になる長女の愛子ちゃんが「ヤソの子供」と言われてお腹を蹴られ、
腹膜炎を起こして亡くなってしまったのです。
亡くなる時、愛子ちゃんは、讃美歌を歌って欲しいと言い、讃美歌を歌うと、
「神は愛なり」と書いて天に召されたそうです。
宗次郎はそのような苦しみの中で、神様に祈りました。
そして、彼は「御心がなりますように」とくじけることなく神様を信じ、神様に従い続けたのです。
普通なら、迫害のない違う土地へ移るところですが、
宗次郎は、むしろ、その土地の人々に神様の愛を持って仕えることを選びました。
牛乳配達と新聞配達のため一日40キロの配達の道のりを走りながら迫害する人々に
キリストを宣べ伝えました。
10メートル走っては神様に祈り、10メートル歩いては神様に感謝をささげた話しは
あまりにも有名です。
そして、子供に会うとアメ玉をやり、仕事の合間には病気の人のお見舞いをし、
励まし、祈り続けました。彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく町の人達のために祈り、
働き続けました。彼は「でくのぼう」と言われながらも最後まで愛を貫き通したのです。
そして、1926年に彼は内村鑑三に招かれて、花巻を去って東京に引っ越すことになりました。
花巻の地を離れる日、誰も見送りには来てくれないだろうと思って駅に行くと、
そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一般人や
物乞いにいたるまで、身動きがとれないほど集まり、駅長は、停車時間を延長し、
汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたというのです。
その群衆の中にいたのが、若き日の宮沢賢治であり、
この「雨にも負けず」ができたと言われています。

先週のN家庭集会にお邪魔した際、携帯電話で撮った写真ですが
先生方の信仰と愛がにじみ出ている写真だと思いました。
つい数年前まで、ご夫妻でキャンピングカーを運転し、
日本人がいると聞けば北米中どこにでもいって、励ましキリストを伝えました。
口からは真実と慰めだけを語り、嫌みや悪口はでてこない。
取り繕う事もせず、わきまえがあり、自然な姿でキリストを証しする。
正しさだけを振りかざすのではなく、人の傷みや傷をうけとめて
その人の心に寄り添う事の出来る人。
斉藤宗次郎も、ロイ先生も、目標としたのはイエス・キリストでした。
わたしも、ただひたすらイエス・キリストを見上げていきます。

久しぶりにお邪魔した家庭集会ですが、素晴らしい愛のおもてなしと、恵みを頂きました。
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい
宮沢賢治作の『雨にも負けず風にも負けず』の実際のモデルとなった人は、
ご存知、斉藤宗次郎というクリスチャンでした。
斉藤宗次郎は、岩手県の花巻に1887年に禅宗の寺の三男として生まれました。
彼は、小学校の教師になりますが、内村鑑三の影響を受けて聖書を読むようになり、
洗礼を受けてクリスチャンになりました。しかし、それからが大きな戦いのはじまりでした。
当時は、キリスト教は、「ヤソ教」「国賊」と呼ばれていました。
彼は洗礼を受けた時から迫害を受けるようになり、石を投げられ、親にも勘当され、
小学校の教師を辞めさせられてしまいました。それだけではありません。
迫害の手は、家族にまで及んできました。近所で火事が起きたとき、全然、関係がないのに、
嫌がらせで、放水され、家を壊されたことがありました。何度もガラスを割られることもありました。
そして、さらにひどい迫害が起こりました。
9歳になる長女の愛子ちゃんが「ヤソの子供」と言われてお腹を蹴られ、
腹膜炎を起こして亡くなってしまったのです。
亡くなる時、愛子ちゃんは、讃美歌を歌って欲しいと言い、讃美歌を歌うと、
「神は愛なり」と書いて天に召されたそうです。
宗次郎はそのような苦しみの中で、神様に祈りました。
そして、彼は「御心がなりますように」とくじけることなく神様を信じ、神様に従い続けたのです。
普通なら、迫害のない違う土地へ移るところですが、
宗次郎は、むしろ、その土地の人々に神様の愛を持って仕えることを選びました。
牛乳配達と新聞配達のため一日40キロの配達の道のりを走りながら迫害する人々に
キリストを宣べ伝えました。
10メートル走っては神様に祈り、10メートル歩いては神様に感謝をささげた話しは
あまりにも有名です。
そして、子供に会うとアメ玉をやり、仕事の合間には病気の人のお見舞いをし、
励まし、祈り続けました。彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく町の人達のために祈り、
働き続けました。彼は「でくのぼう」と言われながらも最後まで愛を貫き通したのです。
そして、1926年に彼は内村鑑三に招かれて、花巻を去って東京に引っ越すことになりました。
花巻の地を離れる日、誰も見送りには来てくれないだろうと思って駅に行くと、
そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一般人や
物乞いにいたるまで、身動きがとれないほど集まり、駅長は、停車時間を延長し、
汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたというのです。
その群衆の中にいたのが、若き日の宮沢賢治であり、
この「雨にも負けず」ができたと言われています。

先週のN家庭集会にお邪魔した際、携帯電話で撮った写真ですが
先生方の信仰と愛がにじみ出ている写真だと思いました。
つい数年前まで、ご夫妻でキャンピングカーを運転し、
日本人がいると聞けば北米中どこにでもいって、励ましキリストを伝えました。
口からは真実と慰めだけを語り、嫌みや悪口はでてこない。
取り繕う事もせず、わきまえがあり、自然な姿でキリストを証しする。
正しさだけを振りかざすのではなく、人の傷みや傷をうけとめて
その人の心に寄り添う事の出来る人。
斉藤宗次郎も、ロイ先生も、目標としたのはイエス・キリストでした。
わたしも、ただひたすらイエス・キリストを見上げていきます。

久しぶりにお邪魔した家庭集会ですが、素晴らしい愛のおもてなしと、恵みを頂きました。
修養会Facebookですよ~
今年も修養会が行われます。
教団のホームページに、ビック中尾先生がインフォメーションを載せて下さっています。
そちらには、講師の横山先生のブログも載せられていました。
そして、こちらは
修養会Facebookが、中村祐二先生によって立ち上げたれました。
すでに各教会でご覧になった動画は、サンタクララの鶴田兄が作って下さいました。
今年も、実行委員長の鍵和田弁慶先生を筆頭に、
各教会の先生や信徒代表の修養会委員会の方々が、
一生懸命に様々な陰の祈りと労をとって下さる事に、本当に感謝です。
未だに自分も使い方がよくわかっていない、フェイスブックですが
これを通して、更に修養会で恵みを受ける方が増えることを期待します。
日本や海外からも、沢山の方が来られるといいですね。
中村先生は、6月13日に日本で手術を受けられます。
世界中から、先生の手術の成功の為に祈りましょう!
では、数ヶ月前の牧師研修会での中村先生との密会写真で、アロハ~!

教団のホームページに、ビック中尾先生がインフォメーションを載せて下さっています。
そちらには、講師の横山先生のブログも載せられていました。
そして、こちらは
修養会Facebookが、中村祐二先生によって立ち上げたれました。
すでに各教会でご覧になった動画は、サンタクララの鶴田兄が作って下さいました。
今年も、実行委員長の鍵和田弁慶先生を筆頭に、
各教会の先生や信徒代表の修養会委員会の方々が、
一生懸命に様々な陰の祈りと労をとって下さる事に、本当に感謝です。
未だに自分も使い方がよくわかっていない、フェイスブックですが
これを通して、更に修養会で恵みを受ける方が増えることを期待します。
日本や海外からも、沢山の方が来られるといいですね。
中村先生は、6月13日に日本で手術を受けられます。
世界中から、先生の手術の成功の為に祈りましょう!
では、数ヶ月前の牧師研修会での中村先生との密会写真で、アロハ~!

ロクデナシ
ろくでなしという言葉に、妙に親近感がある。
今週金曜日、トーランスにてNCM2さんのコンサートが行われます!

今週金曜日、トーランスにてNCM2さんのコンサートが行われます!

お下がり自転車
大猿が日本で使っていた自転車が
中猿、そして今回小猿へと引き継がれ使われています。
だいぶぼろくなりましたが、まだまだ健在。

やさしい自転車好きのお店の方が、無料で点検空気を入れてくれました。

まだ、補助輪つけての運転ですが
この補助輪って、祈りの手に似ていますね。
いつか補助輪を外して走れるようになっても、補助輪で培われたバランスで
しっかりと右にも左にも倒れずに、進む事が出来る。
祈ってもらった経験がある人は、強いです。
祈って下さいとお願いできる人は、倒れません。
後ろで見守る父なる神様の支えを信じて、今日も真っ直ぐ走り抜いていきましょう!
中猿、そして今回小猿へと引き継がれ使われています。
だいぶぼろくなりましたが、まだまだ健在。

やさしい自転車好きのお店の方が、無料で点検空気を入れてくれました。

まだ、補助輪つけての運転ですが
この補助輪って、祈りの手に似ていますね。
いつか補助輪を外して走れるようになっても、補助輪で培われたバランスで
しっかりと右にも左にも倒れずに、進む事が出来る。
祈ってもらった経験がある人は、強いです。
祈って下さいとお願いできる人は、倒れません。
後ろで見守る父なる神様の支えを信じて、今日も真っ直ぐ走り抜いていきましょう!
枯れたりんごの木に咲いた花

この花、何の花だと思いますか?
昨年、ブログで紹介した枝が虫にやられて枯れてしまっているりんごの木です。

去年最後の力を振り絞って、リンゴの実を実らせたと思っていたら
今年は、いくつもの花をさかせました。
枯れ木に花を咲かせましょう!と言ったのは、花咲か爺さんですが
枯れ木に花を咲かせるのは、天地を造られた神様です。
そのお方に希望を持って歩むとき、どんなに傷み傷ついた人の人生をも、
活き活きと変えて下さる全能の力が与えられるのです。
こんな小さな花さえも、もう切り倒されてもおかしくない枯れ木さえも
愛おしいと感じるのであれば、
創造主なる神様は、なおの事私達ひとりひとりを愛おしく思われているのではないでしょうか。
去年ずっと枯れていたこの木が、小さなりんごの実をつけた時、
「最後の力を振り絞って実らせたのだな」と思いました。
しかし、今年この花を見た時、はっきりと
この木を生かし、花を咲かせ、実を結ばせて下さるのは神様の業だと確信しました。
木も花も、人も、自力では限界があり、自力では不可能な事柄があります。
2000年前の、聖書にその真実がはっきりと書かれている事をもう一度教えられます。
わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。
枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、
あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、
その人は実を豊かに結ぶようになる。
わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
ヨハネ15:4、5
もう一度、全ての力の源である神様にしっかりとつながらせて頂きましょう。
母の日 愛餐会
海外、日本とわず教会のフードミニストリーは、多く人の心に潤いと安らぎを与えてくれます。
しかし、どんなに沢山の日本料理屋さんや日系スーパーが立ち並ぶLAでも
教会の愛餐会の美味しさと温かさには勝てません。
今回は、母の日ということで、いつもそのフードミニストリーを頑張って下さる
女性達の為に、男性が食事作り、用意から後片づけまでをやりました。
料理が得意でも、そうでなくとも、皆さん一生懸命頑張りましたよね。

母の日礼拝の特別讃美にも、WCCCのIKUMEN(育児するメンズ)コワイヤー初舞台。

こんなに豪華な愛餐会となりました。
日頃の女性達の「明日の愛餐会なに作ろうかしら?」のご苦労と
土曜と日曜の朝の準備に後片付け、頭が下がりますね。
女性軍のみなさま、いつもありがとうございます!
写真提供:川崎兄姉
しかし、どんなに沢山の日本料理屋さんや日系スーパーが立ち並ぶLAでも
教会の愛餐会の美味しさと温かさには勝てません。
今回は、母の日ということで、いつもそのフードミニストリーを頑張って下さる
女性達の為に、男性が食事作り、用意から後片づけまでをやりました。
料理が得意でも、そうでなくとも、皆さん一生懸命頑張りましたよね。

母の日礼拝の特別讃美にも、WCCCのIKUMEN(育児するメンズ)コワイヤー初舞台。

こんなに豪華な愛餐会となりました。
日頃の女性達の「明日の愛餐会なに作ろうかしら?」のご苦労と
土曜と日曜の朝の準備に後片付け、頭が下がりますね。
女性軍のみなさま、いつもありがとうございます!
写真提供:川崎兄姉
お袋さん
「お袋さん」といえば、演歌歌手森進一さんの歌った曲が有名ですが、
母親を指す言葉です。母親をお袋さんと呼ぶようになった起源室町時代まで遡るようです。
家計を袋に入れて管理していたので、お袋さんと呼ばれるようになりました。
森さんの歌、「お袋さんは」元々アルバムの中の一曲にすぎなかったそうです。
ところが、アメリカ公演で歌ったときに、曲の知名度があまり無かったにも関わらず、
アメリカに住む日本人客が号泣するということがあったそうです。
歌詞を見てみると、「あなたの あなたの真実忘れはしない」というフレーズが
サビの部分として締めくくられます。
この歌に涙した方がいらしたというのは、40年前の出来事です。
日本とアメリカの精神的な距離間は、ずーと遠くだったでしょう。
現代ではスカイプなどの無料のテレビ電話もあり、海外旅行も簡単にできるようになって
あちらとこちらの距離感をあまり感じさせません。
遠くにいる母のお陰で今があることを、しみじみと感じ涙されたことでしょう。
既に、お母様を天に送りだされたのかた、近くにおられるかた、日本や他の国に住まわれている方、
それぞれの母への思いは様々ですが、
その存在がなければ今がないことを心に覚え感謝する「母の日」といたしましょう。
聖書の中にもいつくかの母の姿が記されています。
その中にサムエルの母ハンナのことを思い浮かべます。
ハンナは子が与えられず、苦しみのどん底で、祈りサムエルが与えられました。
そのサムエルが与えられた後も、ハンナは祈り続ける母でした。
しかも、彼女の祈りの凄さは、子供を自分の意のままに育てるのでなく、
神様のみこころに委ねて祈り育てるというものでした。
彼女の祈り「ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました」
サムエル記上1:15にある「注ぎ出す」とは、
からっぽにする、全部を与えるという意味です。
それは、イエス様がご自分のいのちを死に明け渡し、
私たちのためにすっからかんに与え尽くすという意味でも使われる言葉です。
イエスさまは私たちのために、全生涯を、いのちを与え尽くされた方です。
母の愛は、神様の愛に一番近いといわれますが、
真実なキリスト愛、母の愛をうけて私達の今があるのです。
実際の母親との思い出や関係が悪いという方もおられるかもしれませんが、
キリストが、その人間的な欠けを覆う愛を与えてくださる事を信じて、
母の日に、この神の愛の存在をこころに深くとどめましょう。
「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。
彼にはご自身を否むことができないからである」テモテ2:13
母親を指す言葉です。母親をお袋さんと呼ぶようになった起源室町時代まで遡るようです。
家計を袋に入れて管理していたので、お袋さんと呼ばれるようになりました。
森さんの歌、「お袋さんは」元々アルバムの中の一曲にすぎなかったそうです。
ところが、アメリカ公演で歌ったときに、曲の知名度があまり無かったにも関わらず、
アメリカに住む日本人客が号泣するということがあったそうです。
歌詞を見てみると、「あなたの あなたの真実忘れはしない」というフレーズが
サビの部分として締めくくられます。
この歌に涙した方がいらしたというのは、40年前の出来事です。
日本とアメリカの精神的な距離間は、ずーと遠くだったでしょう。
現代ではスカイプなどの無料のテレビ電話もあり、海外旅行も簡単にできるようになって
あちらとこちらの距離感をあまり感じさせません。
遠くにいる母のお陰で今があることを、しみじみと感じ涙されたことでしょう。
既に、お母様を天に送りだされたのかた、近くにおられるかた、日本や他の国に住まわれている方、
それぞれの母への思いは様々ですが、
その存在がなければ今がないことを心に覚え感謝する「母の日」といたしましょう。
聖書の中にもいつくかの母の姿が記されています。
その中にサムエルの母ハンナのことを思い浮かべます。
ハンナは子が与えられず、苦しみのどん底で、祈りサムエルが与えられました。
そのサムエルが与えられた後も、ハンナは祈り続ける母でした。
しかも、彼女の祈りの凄さは、子供を自分の意のままに育てるのでなく、
神様のみこころに委ねて祈り育てるというものでした。
彼女の祈り「ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました」
サムエル記上1:15にある「注ぎ出す」とは、
からっぽにする、全部を与えるという意味です。
それは、イエス様がご自分のいのちを死に明け渡し、
私たちのためにすっからかんに与え尽くすという意味でも使われる言葉です。
イエスさまは私たちのために、全生涯を、いのちを与え尽くされた方です。
母の愛は、神様の愛に一番近いといわれますが、
真実なキリスト愛、母の愛をうけて私達の今があるのです。
実際の母親との思い出や関係が悪いという方もおられるかもしれませんが、
キリストが、その人間的な欠けを覆う愛を与えてくださる事を信じて、
母の日に、この神の愛の存在をこころに深くとどめましょう。
「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。
彼にはご自身を否むことができないからである」テモテ2:13
カレーサンデー終了!

ペルー宣教をサポートする為の
カレーサンデーが無事に終了しました。

経済的な支援だけでなく、
ミニストリーの事を覚えて
祈る事が大きな意味があります。
続けて、麻友さんとAPUのペルーチームの為に祈り続けましょう。
今回は、ペルーの教会の改築
などに携わり、その地の教会を支えて
行くそうです。
違う国の教会支える事ができ、
その地の祝福を祈る時、
心に喜びが湧いて来ました。
何と、今日は巨大鍋が登場して
一つの鍋からカレーが取り分け
られました。
キリストを唯一の希望としての
教会らしくて、良かったです。
今度はこの鍋を使って、ちゃんこ鍋も
いいかなーーー
特に、ご婦人方の労に心から感謝します。
今日のメッセージは、右のリンクの
礼拝メッセージからどうぞ。
同じカレーを食べた仲
カレーライスが日本に入って来たのは明治時代。
日本でカレーライスが食卓に登るようになったのは、戦後の昭和30年代ごろからの様です。
明治維新の日本は文明開化のムードの中で、新しい生活スタイルを取り入れ、
時代を切り開いて行きました。
その頃インドを植民地としていた、イギリスからカレーライスが入ってきたそうです。
食卓に彩りがる事とメニューが増える事は、新しい時代への期待と喜びだったでしょう。
カレーライスを初めて口にする人たちの顔は、どんなだったでしょうね。
今日は、カレーサンデーですが、教会の食卓に笑顔が溢れていくと嬉しいですね。
「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。
この言葉は、苦労を共にしてきた親しい中の事をいう慣用句です。
教会はまさしく「同じ釜の飯を食う」友のいるところですね。
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」とローマ12:15で勧められているように、
親身になって励まし合う場所が教会です。
この場所での「同じ釜」は、同じ希望によって祈りあう者の集まりの事を指しているのです。
イエス様は、あの最後の晩餐で、同じテーブルにつき同じパンとぶどう酒を分けて頂く事を
大切にして、それを行うように教えました。
キリストの十字架と復活という希望を分け合う事を、イエス様は大切な事としました。
私達は、イエス様が自分のために死なれた事を信じ、
その恵みによって新しく生きる希望を持っています。
私達の教会は、年齢や人種を超え、この同じ希望、同じ信仰を持つ者の集まりです。
毎週の礼拝は、このキリストの恵みを一つの食卓つき、頂く時として持たれています。
私達に必要な食事(糧)は、神様の御言葉とキリスト愛です。
これは、早食い、ながら食事の人に満腹感がないように
礼拝や交わりの中での、私たちのあり方が影響してきます。
しっかり神様の御言葉と愛を頂き、礼拝毎に新たな希望を頂き
交わりの中で互いに励まし、祈りあいましょう。
私たちの日常には、様々な事が起こりますが、
全てを受け止められるキリストの愛を信じ祈りあう集まりが教会です。
この午後も、カレーを頂きながら喜びを分かち合い、
重荷を抱えて悩む方とは、共に祈りましょう。
この一週間に起きた喜びや恵みを感謝し、それを分かち合って、祈りましょう。
キリストの希望がある食卓は、必ず笑顔の溢れる所に変わります。
「同じカレーを食べた仲」この言葉が、これからもずっと
WCCCにある希望、神の愛を信じて祈る人々の事を指す言葉になるといいですね。
カレーの為に多くの労をとって下さるカレー係の今村姉を初め、
前日から準備して下さる方々、キッチンに立って下さる方々と多くの皆さんの陰の労に感謝致します。
今回のカレーの収益は、APUペルー宣教の為に捧げられます。
私たちも知らない誰かの祈りと支えによって、福音が届けられました。
皆さんの今日の労により、福音が私たちの行く事のできない国に迄届けられる事も素晴らしいですね。
ペルー宣教の祝福の為にも、祈ります。
日本でカレーライスが食卓に登るようになったのは、戦後の昭和30年代ごろからの様です。
明治維新の日本は文明開化のムードの中で、新しい生活スタイルを取り入れ、
時代を切り開いて行きました。
その頃インドを植民地としていた、イギリスからカレーライスが入ってきたそうです。
食卓に彩りがる事とメニューが増える事は、新しい時代への期待と喜びだったでしょう。
カレーライスを初めて口にする人たちの顔は、どんなだったでしょうね。
今日は、カレーサンデーですが、教会の食卓に笑顔が溢れていくと嬉しいですね。
「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。
この言葉は、苦労を共にしてきた親しい中の事をいう慣用句です。
教会はまさしく「同じ釜の飯を食う」友のいるところですね。
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」とローマ12:15で勧められているように、
親身になって励まし合う場所が教会です。
この場所での「同じ釜」は、同じ希望によって祈りあう者の集まりの事を指しているのです。
イエス様は、あの最後の晩餐で、同じテーブルにつき同じパンとぶどう酒を分けて頂く事を
大切にして、それを行うように教えました。
キリストの十字架と復活という希望を分け合う事を、イエス様は大切な事としました。
私達は、イエス様が自分のために死なれた事を信じ、
その恵みによって新しく生きる希望を持っています。
私達の教会は、年齢や人種を超え、この同じ希望、同じ信仰を持つ者の集まりです。
毎週の礼拝は、このキリストの恵みを一つの食卓つき、頂く時として持たれています。
私達に必要な食事(糧)は、神様の御言葉とキリスト愛です。
これは、早食い、ながら食事の人に満腹感がないように
礼拝や交わりの中での、私たちのあり方が影響してきます。
しっかり神様の御言葉と愛を頂き、礼拝毎に新たな希望を頂き
交わりの中で互いに励まし、祈りあいましょう。
私たちの日常には、様々な事が起こりますが、
全てを受け止められるキリストの愛を信じ祈りあう集まりが教会です。
この午後も、カレーを頂きながら喜びを分かち合い、
重荷を抱えて悩む方とは、共に祈りましょう。
この一週間に起きた喜びや恵みを感謝し、それを分かち合って、祈りましょう。
キリストの希望がある食卓は、必ず笑顔の溢れる所に変わります。
「同じカレーを食べた仲」この言葉が、これからもずっと
WCCCにある希望、神の愛を信じて祈る人々の事を指す言葉になるといいですね。
カレーの為に多くの労をとって下さるカレー係の今村姉を初め、
前日から準備して下さる方々、キッチンに立って下さる方々と多くの皆さんの陰の労に感謝致します。
今回のカレーの収益は、APUペルー宣教の為に捧げられます。
私たちも知らない誰かの祈りと支えによって、福音が届けられました。
皆さんの今日の労により、福音が私たちの行く事のできない国に迄届けられる事も素晴らしいですね。
ペルー宣教の祝福の為にも、祈ります。
肺炎NOW!
いつのまにか肺炎でした。
子供の頃に喘息持ちでしたから、
咳に慣れてしまっていて
息苦しいこと
深呼吸が出来ないことに
気づいていなかった。♪───O(≧∇≦)O────♪
本当に鈍感なのです。いや、天然ボケと言った方がいいですね。
咳が出る事はいつものことだったので
自分の常識では、大した事では
なかったのですが、
肺は炎症を起こしていました。
昔だと一大事だったでしょうが、
抗生物質処方していただき、
一安心です。

喘息も出ているので、吸入もしてもらって
二安心です。
息がしやすくなって喜んでいる写真です。
土曜日に、走れば治ると思って走ってみたとお医者言ったら、叱られました。
気合いで治すにも限度がありました。
聴診器を当てて頂きながら、
胸の音がしない様に、息をしていた
自分にふと気づきました。
お医者さんに悪い所見せなと意味がないのに
自分のなかのお利口さんモードのスイッチが
入ってしまっていたようです。
あっと思って普通に息をしたら
「おおおアズマだ」の一言!
「あなた方の思い煩いを委ねるがよい」
という聖書の言葉がありますが、
思わず、思い煩いを隠してしまいます。
悪い所をしっかり見つけて
きたのでこれで解決に向かいます。
何よりも、神様にありのままを認めて祈ります。
ふざけて、肺炎NOWなんて題にしましたが、
病と戦っている方々と主が共にありますように祈ります。
子供の頃に喘息持ちでしたから、
咳に慣れてしまっていて
息苦しいこと
深呼吸が出来ないことに
気づいていなかった。♪───O(≧∇≦)O────♪
本当に鈍感なのです。いや、天然ボケと言った方がいいですね。
咳が出る事はいつものことだったので
自分の常識では、大した事では
なかったのですが、
肺は炎症を起こしていました。
昔だと一大事だったでしょうが、
抗生物質処方していただき、
一安心です。

喘息も出ているので、吸入もしてもらって
二安心です。
息がしやすくなって喜んでいる写真です。
土曜日に、走れば治ると思って走ってみたとお医者言ったら、叱られました。
気合いで治すにも限度がありました。
聴診器を当てて頂きながら、
胸の音がしない様に、息をしていた
自分にふと気づきました。
お医者さんに悪い所見せなと意味がないのに
自分のなかのお利口さんモードのスイッチが
入ってしまっていたようです。
あっと思って普通に息をしたら
「おおおアズマだ」の一言!
「あなた方の思い煩いを委ねるがよい」
という聖書の言葉がありますが、
思わず、思い煩いを隠してしまいます。
悪い所をしっかり見つけて
きたのでこれで解決に向かいます。
何よりも、神様にありのままを認めて祈ります。
ふざけて、肺炎NOWなんて題にしましたが、
病と戦っている方々と主が共にありますように祈ります。
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